死んだふり
学術用語では「擬死」という。
動物が死んだふりをするのは相手の注目を避けるためだが、人間社会における擬死はむしろ注目を集める手段である。
注目を集めるために死を使う生き物は他にいるだろうか。死臭を放つラフレシアくらいしか思いつかない。
「死人に口なし」と言われるが、「死」そのものは重大な説得力をもつ。
人間社会は死を嫌うのが定石で、弔いの文化が人類史上最古にある点もうなづける。遺体を見ると、何かしなくてはならないと思うのがヒトの性なのだろう。
"Planking"というトレンドが海外にかつてあったそうだ。
死んだふりをして自撮りをするのだが、いくらかレギュレーションがある。
・うつぶせの姿勢であること。
・両手は体側にぴったりつけること。
・荒唐無稽な場所で横たわるほど良しとする。
死んだふりではあるのだが、実際に死んでいると思われないための工夫であると思われる。事件に繋がったこともあるそうで、色々あって今は下火のトレンドだ。
死体としてのリアリティを欠くため、説得力は全くない。「変なことをしてるなあ」と横目で見られる程度だろう。
なので逆に、無意味なものにいかに意味をもたせるか、それが面白くてトレンドになったのだろう。ひっくり返って注目を集める手段になっているのが興味深い。
死んだふりでの主張といえば、「ダイ・イン(Die-In)」という抗議形式もある。集団での死んだふりである。
形式として確立したのは1970年代とのことだが、「非暴力的な抗議」という点では歴史に前例が多くある。
こちらも、赤い液体で身を染めたりと死体としてのディテールにこだわった時期もあったそうだが、基本的にはプラカードを持って横たわるだけである。こちらもいわゆる「死体ごっこ」で、死のインパクトを欠いている。どちらかといえば、大人数が同じTシャツを着るような視覚的効果に近いだろう。
リアルな死体はインパクトが強すぎて、社会的には嫌われるのが実際だ。死の印象を軽減することが、死んだふりの作法である。
参考