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管理人:平井宏樹

ビコリム戦争(Bicholim conflict)

1640年から1641年にかけて、ポルトガルマラーター王国(正式な建国は1674年のため、「王国」と称するのは不適だが、便宜上そう呼ぶ)の間にインドの州ゴア北部のビコリムで起こった衝突のこと。ポルトガル帝国の勝利に終わり、その後の植民地支配にも大きな影響を与えた出来事とされる。

誤解が無いよう急いで述べると、この出来事を示す歴史的資料はどこにもない。にもかかわらず、英語版のWikipediaに5年ほど、史実として記載されていた経歴がある。2007年の7月にアップされ、2012年の12月に削除された。2007年10月には「秀逸な記事」(featured article)にも選ばれている。

 

Wikipediaで「秀逸な記事」として選ばれるには、以下の基準を満たさねばならない。

 

1.高い完成度で文章や構成がよくまとめられている。(可能なら)図や画像や表なども使われ、説明を補助している。
2.詳しくない読者にもその主題について理解できるように、わかりやすく書かれている。ただし、高度に専門的な主題を扱ったものであれば、関連記事を読んで理解していることを前提にするのは問題ない。
3.必ず説明されるべき点から主な関連事項までが含まれ、内容が充実している。ただし、どこまでを含むかは他の記事との連携・分担関係にもよる。
4.専門的な資料から関連資料に至るまで、主題についてよく調査されている。
5.観点の中立性が保たれている。
6.必要な出典が記事全体を通して十分に挙げられており、個々の記述の根拠が脚注や本文中で明らかにされている。特に、肯定的・否定的・主観的な表現については出典が付けられていることが望ましい。
7.以上の点が全て満たされている。

Wikipedia:秀逸な記事 - Wikipediaより引用)

 

"Bicholim conflict"の記事には、脚注もしっかりと付いており、これを書いた”A-b-a-a-a-a-a-a-b-a”というハンドルネームの著者はすでに多くの記事を編集した経歴があり、文章も巧みであったようだ。こうした質の高い記事を事実無根として否定するのも、それはそれで苦労しただろう。

この記事が架空のものとバレる過程だが、あるウィキペディアンが記事の出典を調べたところ、どの出典元を辿っても結局この記事に辿りつき、また出典元として引用された書物も”Worldcat”という総合目録で調べたところ「該当なし」となったようで、結局第三者からの情報の保証が得られていないことが判明した。

この捏造記事は5年間にわたりWikipediaに掲載されたが、こうした例は他にもある。ユニークなものを一つ挙げると、チェン・ファン(Chen Fang)というハーバード大学の学生が、寧夏回族自治区の銀川市の市長という名目で自身についての架空記事をでっち上げ、7年間掲載されたこともある(記事の作者自身が2012年に消去)。

 

こうした例を挙げてWikipedia自体の信憑性を疑う声もあるが、新しい記事を「監視」するウィキペディアンと呼ばれる人も少なからずおり、その眼をそう簡単に看破できないことは留意するべきだろう。個人的には、信憑性を抜きにしても沢山の著者を経由することで様々な視点が一つの記事でも見られる点でこのサイトは興味深いと思う。

ところで、少なからず労力を割いてこうした捏造記事を作る動機は何だろうか。プログラマーがセキュリティソフトの脆弱性を測るためウイルスを自作するようなものだろうか。ただの愉快犯にしては手が込んだ犯行と言えるし、「魔が差した」というだけでこの動機は説明できないだろう。

ただこうした記事が証明するのは、力の入った嘘であるなら、場合によっては数年間ないしもっと長い間でも、一種の「事実」として発信することが出来るということだ。Wikipediaは誰でも編集可能なため、その権利はあなたにも私にもある。恐ろしいことだが、迷惑のかからないジョークの範囲なら粋なことだとも正直思う。

こうしたジョークは捏造であることに変わりはないため、通報があれば即座に削除される。ただ、公式に興味深いジョークと捉えられれば「Wikipedia:削除された悪ふざけとナンセンス - Wikipedia」という記事に追加されることもある。何かアイデアがあるなら、挑戦してみるのもいいかもしれない。

 

最後にビコリムという都市についてだが、ゴア州の州都パンジム(Panjim)の北東30キロメートルにあり、キリスト教イスラム教、ヒンドゥー教ジャイナ教などと非常に宗教色の豊かな都市である。鉄鉱石の採掘と加工業に、マイェム湖周辺のリゾートなど観光業も栄えているそうだ。

ビコリム戦争は恐らくフィクションと考えて良いだろうが、では実際の歴史というと、こちらは不明であった。ゴアという州の歴史はあっても、ビコリムという都市についてまでは分からない。世界的に見てもかなり複雑な歴史を辿った地域であり、これについて架空の記事を書こうと考えた作者の慧眼に色んな点で改めて驚くのである。

 

 

参考

 

web.archive.org

newusopedia.miraheze.org

www.dailydot.com

ja.wikipedia.org

ja.wikipedia.org

www.mandatory.com

ja.wikipedia.org

en.wikipedia.org