何かが道をやってくる

管理人:平井宏樹

「青い目の島民」(The blue-eyed islanders)

論理パズルの一種。

少々長いが、内容を紹介する。色々パターンがあるが、以下はその一例である。

 

 人口1000人の島がある。そのうちの100人は目が青く、900人は茶色だ。ところが、島には鏡がなく、その島の宗教では目の色について語るのは一切禁じられている。さらに悪いことに、何らかの事情で自分の目の色を知ってしまった人はその日のうちに自ら命を絶たなくてはならない。

 ある日、1人の探検家が島に上陸し、全島民の前で話すよう決められる。ところが、探検家はその地方の習慣を知らなかったため失態を犯す。島民の前でこんな発言をしてしまったのだ。「なんて嬉しいことだ。青い目の人にまた出会えるなんて。何ヶ月も前に海に出て以来のことだ」。さて、この後どうなるだろうか?

(『マスペディア1000』著:リチャード・エルウィス 訳:宮本寿代 p550 下線部は原文では傍点)

以下はこのパズルの答えになる。興味のある方は上の文だけで自力で考えても良いが、かなり難しいと思う。

 

 青い目の自殺の謎の答は、目の青い島民の数に依存する。もとの問題では100人だったが、たった1人しかいない場合から考えたほうが簡単だ。その人をAとしよう。ここでAは、探検家の話を聞いて少なくとも1人は目の青い島民がいることを知る。自分には目の青い人が見当たらないことから、それは自分に違いないとAは結論する。第1日目に、Aは自ら命を絶つ。

 では、目の青い人がAとBの2人だとする。AはBを見ている。だからAには、少なくとも1人は目の青い島民がいることがわかる。しかし、2日目になってBが自殺していないとわかると、Bも目の青い人を見ているに違いないと推測できる。ところが、Aから見たとき、Bのほかに目の青い人は見当たらない。よって、自分に違いないと結論する。2日目にAは自分の命を絶つ。Bも同様だ。

 一般的な命題は次のようになる。目の青い島民がn人いるなら、全員がn日目に自殺する。これは、帰納法を使ってわけなく証明できる。だから、もとの問題の答は、目の青い島民は全員100日目に自殺するというものだ。

(p550-551)

このパズルは、数学の分野でいえば「ゲーム理論」の一種にあたり、特に「共有知識」という概念と密接に関わる。Wikipediaの「共有知識」の記事にも同種のパズルが例として挙げられており、数学的に厳密な定義についても述べられているが、そちらは難しくなるためご注意願いたい。

数学的な定義を抜きにして「共有知識」についての知見を求める方には、『コンヴェンション 哲学的研究』(著:デイヴィド・ルイス 訳:瀧沢弘和 慶応義塾大学出版会)を勧める。少なくともこの概念が生物の生存戦略政治学言語学にまで及ぶ重要な概念というのは理解いただけるのではないかと思う。

 

ここから少し横道に逸れて、この問題自体の設定に触れたい。この奇妙なシチュエーションはどういった発想の下で生まれたのだろう?

東アジアの国々においては、黒や茶色の目色の人が圧倒的に多いが、ヨーロッパ圏では古来より目色の多様性があった。青い目は虹彩に含まれるメラニン色素が少ないことを示し、日照時間が少ないヨーロッパ北部に多い。確認できた統計では、世界人口の8~10%が青い目をしているそうだ(上の問題の割合とほぼ一致する!)。

もちろん例が無い訳でないが、そうした理由で眼の色による「差別」は西洋では珍しかったといえる。問題を考えるにあたり、既存の社会問題に触れないようにしようという一応の配慮があったのだろう。だから、問題の設定に「肌の色」や「髪の色」は選ばれなかった。

ただ、わざわざ「自殺」という要素を選ぶあたりがちっとも穏やかでない。ブラックユーモアを含む論理パズルは多いが、例えば「1000本のワインのうち、毒入りワインを見つけるために必要な奴隷は何人か?」というものもある(解答は参考にある動画を参照)。個人的にこういう諧謔は実はそう嫌いではない。

 

最後に、ジェーン・エリオット氏(Jane Elliott 1933-)が行った「差別実験」に触れておく。これは1968年4月のキング牧師の暗殺を受けて、彼女が担任していたクラスにおいて授業の一環として行われたもので、青い眼の生徒と茶色い眼の生徒の間にあえて格差を設けることで、差別を実際に体感することを意図している。

まずは茶色い眼の生徒が青い眼の生徒に対して優位であるという雰囲気をつくり、その後に立場を逆転させることで平等を図ったようだ。実験の間は優位にある側が格下の生徒に対して横暴に振舞ったり、テストの結果の優劣にも格差が表れるなど、実験の結果は如実に出たようである。

この実験に対しての反応は様々だったが、当時は否定的なものが圧倒的に多かったようだ。眼の色による差別は例が少ないとはいえ、現代に行うのは難しいだろう。一緒にしてはいけないと思うが、格差を与えた結果暴力が生まれたという点では、映画『es』などでも有名な「スタンフォード監獄実験」を少し彷彿してしまう。

最近、甲南大学の田野大輔氏による「ファシズムの体験学習」が話題となったが、こちらは比較的明るく世に受け入れられた印象だ。エリオット氏の実験は小学生が対象なのに対してこちらは大学生が対象であるし、ファシズムが過去の話と思われている節もある。内容は勿論、こうした授業が令和の日本で出来たこと自体も興味深い。

 

 

参考

 

d21.co.jp

ja.wikipedia.org

www.keio-up.co.jpja.wikipedia.org

ja.wikipedia.org

www.otsukishoten.co.jp

www.youtube.com