何かが道をやってくる

管理人:平井宏樹

「狂人の真似とて大路を走らば即ち狂人なり」

吉田兼好(1283?-1352?)の随筆『徒然草』の第85段に書かれている一文。

 

もう少し文脈の全貌が見えるよう、長めに引用してみよう。

 

 狂人の真似とて大路を走らば、即ち狂人なり。悪人の真似とて人を殺さば、悪人なり。驥を学ぶは驥の類ひ*、舜を学ぶは舜の徒なり。偽りても賢を学ばんを、賢といふべし。

https://www2.yamanashi-ken.ac.jp/~itoyo/tsuredure/turedure050_099/turedure085.html

より引用)

 

この文章の真意は後半の「偽りても賢を学ばんを…」の部分にあり、つまりただの真似事としても賢い人に学ぶのは十分有用であるということだ。なのでタイトルにも挙げた「狂人の真似とて…」の部分はあくまで導入や一つの喩えでしかなく、作者の吉田兼好がどれほどの思いでこの文を入れたかは分からない。

 

ただ、ここ十年くらいの間で前半部分だけがネット界隈で独り歩きするようになったと言われる。例えば、炎上したYoutuberを真似して追随する者が言い訳として「〇〇さんがやってたから…」と責任逃れをした際に、それを諭す言葉として引用されたり、などの使用例があるようだ。

作者本人に思い入れの無い言葉が独歩し流通するというのは、ことわざが作られる過程を見るようなもので、それはそれで興味深い。類似した例では、「ゴキブリ」は元々「ゴキカブリ」という名称だったが、生物用語集で「ゴキブリ」と誤植されてからそれが定着してしまったというものもある。

 

言葉の流通過程を見るのも良いが、個人的に興味があるのは、では「狂人の真似」をする人は実際に「狂人」と言えるのかどうかだ。もちろんこれが偽であったとして『徒然草』に反証するつもりはないが、ある程度流行りの言葉なら、そうした精査をするのも悪くないと思うのである。

 

それにあたり、軽く触れておきたいことがある。なぜ「大路を走る」ことがさも狂人の行為のように言われているかだ。これに関しては、色々調べたりしたが確かなことは言えない。あくまで数ある仮説のうちの一つの可能性として理解して頂ければ幸いである。

恐らくここでいう「大路」は、平安京を南北に通る大通りのことを指すのだろう。都の中心を南北に貫く朱雀大路は幅82mもあったとされ、皇居前のみゆき通り(幅73m)よりも広かったそうだ。海外の使節を迎えたりする際に使われた神聖な道路で、庶民が裸足で駆けたりするのはもっての他だっただろう。

ただ平安京末期以降、都の機能が衰退するとこうした大通りは本来の機能を失い、一部は農地化されたり牛や馬を放し飼いする者もいたようだ。『羅生門』の時代である。鎌倉末期には多少状況は改善されたと思うが、とはいえ大路を走る不届き者を取り締まる役人がいたのかは定かではない。

当時から商工業が京の町で営まれていたことを考えると、個人的には「大路を走る」だけで狂人と見做すのは無理があるのではと思う。ただ、『徒然草』の作者はかつての京の町を思い描き、現状と齟齬があるにせよ一つの喩えとして、「大路を走る狂人」のイメージを作り上げたのではないか。

ただこの点については本当に素人考えのため、大きく的を外している可能性があることをご容赦願いたい。平安京の衰退や変化の過程については『平安京はいらなかった』(桃崎 有一郎 、2016、吉川弘文館)という書籍が主張もユニークで興味深かったため、関心のある方はこちらをご一読願いたい。

 

前の簡単な議論を受けて、ひとまずここでは「大路を走る」=「朝廷への不敬」と考えたい。当時の世相を考えれば、これは社会通念の無視を意味すると考えても問題はないだろう。こうした前提でもって、前者の狂人と、後者の狂人の真似をする狂人とを比較してみよう。

最も大きな違いとしては、社会通念に対する意識が前者の狂人には働いておらず、後者では社会通念に反すると知りながらそれに反逆しているという点だろう。精神病理学の範疇では、前者は間違いなく何かしらの病名を与えられると思うが、後者はその動機にもよるが、必ずしも病名が与えられるとは限らなそうだ。

いわゆるテロを起こすつもりで一度きりの行為をしただけならば「狂人」と呼ぶのは難しい。だが、ただ注目を浴びるためだけに「大路を走る」行為を繰り返しているなら例えばパーソナリティー障害などに分類される可能性がある。少なくとも前者と後者の「狂人」では分類が異なるということは言えるだろう。

 

上の議論を受け、改めて吉田兼好の文の真意(「偽りても賢を学ばんを、賢といふべし」)について考えてみよう。

前者の「賢」と後者の「賢」では、いずれも賢といえる可能性はあるが、もしかすると質の違う賢さかもしれない。個人的には、ただ賢者の一度真似をするだけでは賢者になったとは言えず、継続的にその行為を行い、大した動機がなくともそれが出来るようになれば賢者と言える…という所に結論を置きたいが、どうだろうか。

 

参考

 

dic.nicovideo.jp

www2.yamanashi-ken.ac.jp

ja.wikipedia.org

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www.yoshikawa-k.co.jp

www.msdmanuals.com

佯狂者(ようきょうしゃ)

東方正教会における聖人の称号の一つ。

 

「佯狂者」の「佯」という字には「よそおう」という意味があり、文字通り解釈すると「狂人の振りをする者」となる。社会的な地位や財産、慣習には脇目もふらず、信仰のために生活の全てを捧げる人物だ。英語では"Foolishness for Christ"とも訳されるが、ロシア語に忠実な”yurodivy”という語も当てられる。

ギリシア正教会は儀式の際の文言までが一字一句決まっているなど、かなり厳格な印象を受ける。聖人の称号には「登塔者(とうとうしゃ)」というのもあり、塔に一人で登り厳しい修行をした人物を指す。例えば殉教者への信仰はカトリックにもあるが、大いな犠牲を払い信仰に尽くした人物への信仰は東方のが厚いようだ。

 

佯狂者と呼ばれる人物で最も著名なのは、恐らく聖ワシリイ(1468-1552 or1557)だろう。赤の広場に建つ、ロシアの象徴的な建造物「聖ワシリイ大聖堂」で祀られる人物だ。ちなみに彼が永眠した日は「聖ワシリイの日」という祝祭日に当てられており、グレゴリオ暦でいえば日本の終戦記念日、8月15日がこの日にあたる。

聖ワシリイは、世界的に暴君として有名なイワン雷帝からも敬意を受けていたようだ。様々な伝承が交錯しており事実誤認もあるが、この点は確かとされている。彼の聖骸はイワン雷帝も自らの手で運んだという。彼を描いた絵画ではどれも裸の老人として描かれており、佯狂者にはふさわしい人物像といえるだろう。

 

聖ワシリイの伝承では、飲み物の入ったグラスをひっくり返したり、突然泣き出したと思えば予言をするなど、一種の超能力を持った奇人として描かれている。「佯狂者」の原義となるロシア語(юрoдивый)では「聖なる愚者」というニュアンスが強く、「狂った振りをしている」わけではなさそうだ。少なくとも彼は奇人ではあったろう。

日本にこうした人物像があるかと何となく考えてみたが、代表的な人物はあまり思い浮かばない。一休宗純が近いかと思ったが、どちらかというと既存の仏法に対する自己批判の要素が強いと思うため、「佯狂者」と言うのは違うだろう。中国の達磨大師などは近いと思うが。

推測だが、日本では信仰と生活とが密接に関わっており、俗的な価値観と宗教的価値観の対立、というジレンマがあまり発生しなかったのかもしれない。日本仏教の戒律は生活上の作法という点もあり、清く正しく生きてさえいれば仏教的な価値観においてもそれなりに清廉な人物として見られたというのはあるだろう。

 

以上から、「佯狂者」の人物像が日本ではイメージしにくいかもしれない。トルストイの『幼年時代』に、著者自身が幼少期出会ったという敬虔深い人物グリーシャに対する賛辞がある。恐らくこれこそ「佯狂者」と呼ぶに相応しい人物なのだろう。長いが、彼の紹介と共に引用しよう。

 

かれはどこから来たのか?両親はどんな人間か?こんな放浪生活をえらぶようになった原因はなにか?それはだれも知らなかった。私が知っているのはただ、かれが十四をすぎたころから、神がかりとして人に知られ、夏冬とわずはだしで歩きまわり、あちこちの修道院をたずね、気にいったものに小さな聖像をあたえ、なぞのことばを語って、それが一部の人たちに予言と受けとられていたこと、また、だれひとり一度も今と別の姿のグリーシャを見たことがないこと、この男がときたまおばあさんの所へ来ていたこと、ある者は、この男が裕福な両親の不幸なむすこで、清い心の持ち主のように言い、別の者は、かれをただの百姓で、なまけ者だと言っていたこと、だけである。

(『幼年時代』(レフ・トルストイ著、藤沼貴訳、岩波書店、1968)p34)

 

それからまたながい間、グリーシャはこの法悦の境地にあって、思いうかぶままの祈りをとなえていた。ときには、かれはなん度もつづけて、「主よ慈悲をたれたまえ」とくりかえしたが、一度ごとに新しく力と思い入れをこめるのだった。ときには、かれは「われをゆるしたまえ、なにをなすべきか、われに教えたまえ……なにをなすべきか、われに教えたまえ、主よ!」と、まるで、今すぐ自分のことばに答えてくれるのを待っているような調子で言った。ときには、悲痛な泣き声だけがきこえた……かれはひざをついたまま身をおこし、腕を胸にくみ、口をつぐんだ。

(中略)

ああ、偉大なキリスト教徒グリーシャ!お前の信仰は神を身近かに感じるほど強かった、お前の愛は、ことばがひとりでに口をついてほとばしるほど大きかった――お前はそのことばを理性でたしかめはしなかった……そして、ことばが見あたらず、涙にぬれて床に身を投げたとき、お前は神の偉大さに、本当に高い賛辞をささげたのだ!……

(Ibid. p68-69)

 

余計な注釈を入れずとも、この引用を読めば佯狂者がどんな人物を指すか、なぜ敬意の対象となるかがよく分かる。その言葉を妄言と取るか一種の予言と取るかはその人次第だが、ただの妄言と片付けるにはいささかもったいない場合もある、という位には構えておいていいかもしれない。

 

参考

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en.wikipedia.org

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jp.rbth.com

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www.iwanami.co.jp

ビコリム戦争(Bicholim conflict)

1640年から1641年にかけて、ポルトガルマラーター王国(正式な建国は1674年のため、「王国」と称するのは不適だが、便宜上そう呼ぶ)の間にインドの州ゴア北部のビコリムで起こった衝突のこと。ポルトガル帝国の勝利に終わり、その後の植民地支配にも大きな影響を与えた出来事とされる。

誤解が無いよう急いで述べると、この出来事を示す歴史的資料はどこにもない。にもかかわらず、英語版のWikipediaに5年ほど、史実として記載されていた経歴がある。2007年の7月にアップされ、2012年の12月に削除された。2007年10月には「秀逸な記事」(featured article)にも選ばれている。

 

Wikipediaで「秀逸な記事」として選ばれるには、以下の基準を満たさねばならない。

 

1.高い完成度で文章や構成がよくまとめられている。(可能なら)図や画像や表なども使われ、説明を補助している。
2.詳しくない読者にもその主題について理解できるように、わかりやすく書かれている。ただし、高度に専門的な主題を扱ったものであれば、関連記事を読んで理解していることを前提にするのは問題ない。
3.必ず説明されるべき点から主な関連事項までが含まれ、内容が充実している。ただし、どこまでを含むかは他の記事との連携・分担関係にもよる。
4.専門的な資料から関連資料に至るまで、主題についてよく調査されている。
5.観点の中立性が保たれている。
6.必要な出典が記事全体を通して十分に挙げられており、個々の記述の根拠が脚注や本文中で明らかにされている。特に、肯定的・否定的・主観的な表現については出典が付けられていることが望ましい。
7.以上の点が全て満たされている。

Wikipedia:秀逸な記事 - Wikipediaより引用)

 

"Bicholim conflict"の記事には、脚注もしっかりと付いており、これを書いた”A-b-a-a-a-a-a-a-b-a”というハンドルネームの著者はすでに多くの記事を編集した経歴があり、文章も巧みであったようだ。こうした質の高い記事を事実無根として否定するのも、それはそれで苦労しただろう。

この記事が架空のものとバレる過程だが、あるウィキペディアンが記事の出典を調べたところ、どの出典元を辿っても結局この記事に辿りつき、また出典元として引用された書物も”Worldcat”という総合目録で調べたところ「該当なし」となったようで、結局第三者からの情報の保証が得られていないことが判明した。

この捏造記事は5年間にわたりWikipediaに掲載されたが、こうした例は他にもある。ユニークなものを一つ挙げると、チェン・ファン(Chen Fang)というハーバード大学の学生が、寧夏回族自治区の銀川市の市長という名目で自身についての架空記事をでっち上げ、7年間掲載されたこともある(記事の作者自身が2012年に消去)。

 

こうした例を挙げてWikipedia自体の信憑性を疑う声もあるが、新しい記事を「監視」するウィキペディアンと呼ばれる人も少なからずおり、その眼をそう簡単に看破できないことは留意するべきだろう。個人的には、信憑性を抜きにしても沢山の著者を経由することで様々な視点が一つの記事でも見られる点でこのサイトは興味深いと思う。

ところで、少なからず労力を割いてこうした捏造記事を作る動機は何だろうか。プログラマーがセキュリティソフトの脆弱性を測るためウイルスを自作するようなものだろうか。ただの愉快犯にしては手が込んだ犯行と言えるし、「魔が差した」というだけでこの動機は説明できないだろう。

ただこうした記事が証明するのは、力の入った嘘であるなら、場合によっては数年間ないしもっと長い間でも、一種の「事実」として発信することが出来るということだ。Wikipediaは誰でも編集可能なため、その権利はあなたにも私にもある。恐ろしいことだが、迷惑のかからないジョークの範囲なら粋なことだとも正直思う。

こうしたジョークは捏造であることに変わりはないため、通報があれば即座に削除される。ただ、公式に興味深いジョークと捉えられれば「Wikipedia:削除された悪ふざけとナンセンス - Wikipedia」という記事に追加されることもある。何かアイデアがあるなら、挑戦してみるのもいいかもしれない。

 

最後にビコリムという都市についてだが、ゴア州の州都パンジム(Panjim)の北東30キロメートルにあり、キリスト教イスラム教、ヒンドゥー教ジャイナ教などと非常に宗教色の豊かな都市である。鉄鉱石の採掘と加工業に、マイェム湖周辺のリゾートなど観光業も栄えているそうだ。

ビコリム戦争は恐らくフィクションと考えて良いだろうが、では実際の歴史というと、こちらは不明であった。ゴアという州の歴史はあっても、ビコリムという都市についてまでは分からない。世界的に見てもかなり複雑な歴史を辿った地域であり、これについて架空の記事を書こうと考えた作者の慧眼に色んな点で改めて驚くのである。

 

 

参考

 

web.archive.org

newusopedia.miraheze.org

www.dailydot.com

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www.mandatory.com

ja.wikipedia.org

en.wikipedia.org

サンセリフ(San Serriffe)

1977年のエイプリルフールに、イギリスの新聞『ガーディアン(The Guardian)』に掲載された架空の国。書体の一種サンセリフ(Sans-serif)とは綴りが異なるため注意。

 

エイプリルフールのジョーク記事なのだが、力の入れ方が半端ではない。7ページもある特集記事として紹介され、様々な企業が広告も出している(7ページ中4ページが記事を模した広告であった)。この記事をきっかけに、エイプリルフールにジョーク記事を出すという風習が英国のメディアで生まれたとも言われる。

この記事は異例の反響を呼び、旅行代理店や航空会社にこの島についての詳細を求める問い合わせが大量にあったという。サンセリフの気候や文化、歴史を詳細に紹介したのに加え、様々な企業も便乗して好意的な文を送っていたため、ネットのない時代では信じない方が難しいだろう。

石油や化学産業が栄え経済的に豊かで、かつて英国の植民地下にあった歴史があり、現在では民主制が確立されている…など、当時のツーリズムの関心がよく表れている点から、一種の研究対象としては興味深いかもしれない。サンセリフは一般英国人にとってのユートピアだったのだ。

 

類似した例として、自分はジョージ・サルマナザール(George Psalmanazar 1679?-1763)の『台湾誌』(1704)を連想する。原題を全て訳すと『台湾(日本皇帝支配下の島)の歴史地理に関する記述』(Historical and Geographical Description of Formosa, an Island subject to the Emperor of Japan)となり、タイトルからして荒唐無稽である。

サルマナザールは台湾人を自称し、一時は英国では有名な人物であったようだ。勿論事実無根なのだが、『台湾誌』を参照すると、台湾の文化や宗教、言語などについて詳しく書かれている。一説には、ジョナサン・スウィフト(Jonathan Swift 1667-1745)の『ガリヴァー旅行記』(Gulliver's Travels 1726)に影響を与えたとも言われる。

サンセリフといい『台湾誌』といい、こうしたものを見ると人の想像力のエネルギーに驚く。架空のものを創り上げるのにこれだけの労力を割けるという点では、個人的にリスペクトを抱いてしまう。あるいは架空のものだからこそ、のびのびと描けたということだろうか。

 

ところで自分自身、こうしたフェイクにすっかり騙されたことがある。Twitterで偶然見かけた入試問題で、「5のπ乗は整数か。」というものを見かけて、自力で解こうとしたが中々解けず、数学に明るい知人に連絡して助けを求めることになったが、その知人も難儀するということがあった。

その後にこの問題を出題した大学を調べたところ、「国際信州学院大学」理学部の2022年の入試問題だったようで、聞きなれない大学だったため調べたところ、どうやらネット掲示板のやり取りで生まれた架空の大学ということが分かった(ただし公式HPもある)。ちなみに7代目の学長はかの有名な、ひろゆきである。

上記の問題はとても手計算で出来るものではないと判明し、協力してくれた知人に詫びを入れることになったが、インターネット社会となっても調べが甘いと自分のようにフェイクに釣られる人が現れると知った。世の中には笑えないジョークというのもあるので、そうしたものだけには引っかからないようにしたいものだ。

 

 

参考

ja.wikipedia.org

hoaxes.org

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kokushin-u.jp

 

 

「青い目の島民」(The blue-eyed islanders)

論理パズルの一種。

少々長いが、内容を紹介する。色々パターンがあるが、以下はその一例である。

 

 人口1000人の島がある。そのうちの100人は目が青く、900人は茶色だ。ところが、島には鏡がなく、その島の宗教では目の色について語るのは一切禁じられている。さらに悪いことに、何らかの事情で自分の目の色を知ってしまった人はその日のうちに自ら命を絶たなくてはならない。

 ある日、1人の探検家が島に上陸し、全島民の前で話すよう決められる。ところが、探検家はその地方の習慣を知らなかったため失態を犯す。島民の前でこんな発言をしてしまったのだ。「なんて嬉しいことだ。青い目の人にまた出会えるなんて。何ヶ月も前に海に出て以来のことだ」。さて、この後どうなるだろうか?

(『マスペディア1000』著:リチャード・エルウィス 訳:宮本寿代 p550 下線部は原文では傍点)

以下はこのパズルの答えになる。興味のある方は上の文だけで自力で考えても良いが、かなり難しいと思う。

 

 青い目の自殺の謎の答は、目の青い島民の数に依存する。もとの問題では100人だったが、たった1人しかいない場合から考えたほうが簡単だ。その人をAとしよう。ここでAは、探検家の話を聞いて少なくとも1人は目の青い島民がいることを知る。自分には目の青い人が見当たらないことから、それは自分に違いないとAは結論する。第1日目に、Aは自ら命を絶つ。

 では、目の青い人がAとBの2人だとする。AはBを見ている。だからAには、少なくとも1人は目の青い島民がいることがわかる。しかし、2日目になってBが自殺していないとわかると、Bも目の青い人を見ているに違いないと推測できる。ところが、Aから見たとき、Bのほかに目の青い人は見当たらない。よって、自分に違いないと結論する。2日目にAは自分の命を絶つ。Bも同様だ。

 一般的な命題は次のようになる。目の青い島民がn人いるなら、全員がn日目に自殺する。これは、帰納法を使ってわけなく証明できる。だから、もとの問題の答は、目の青い島民は全員100日目に自殺するというものだ。

(p550-551)

このパズルは、数学の分野でいえば「ゲーム理論」の一種にあたり、特に「共有知識」という概念と密接に関わる。Wikipediaの「共有知識」の記事にも同種のパズルが例として挙げられており、数学的に厳密な定義についても述べられているが、そちらは難しくなるためご注意願いたい。

数学的な定義を抜きにして「共有知識」についての知見を求める方には、『コンヴェンション 哲学的研究』(著:デイヴィド・ルイス 訳:瀧沢弘和 慶応義塾大学出版会)を勧める。少なくともこの概念が生物の生存戦略政治学言語学にまで及ぶ重要な概念というのは理解いただけるのではないかと思う。

 

ここから少し横道に逸れて、この問題自体の設定に触れたい。この奇妙なシチュエーションはどういった発想の下で生まれたのだろう?

東アジアの国々においては、黒や茶色の目色の人が圧倒的に多いが、ヨーロッパ圏では古来より目色の多様性があった。青い目は虹彩に含まれるメラニン色素が少ないことを示し、日照時間が少ないヨーロッパ北部に多い。確認できた統計では、世界人口の8~10%が青い目をしているそうだ(上の問題の割合とほぼ一致する!)。

もちろん例が無い訳でないが、そうした理由で眼の色による「差別」は西洋では珍しかったといえる。問題を考えるにあたり、既存の社会問題に触れないようにしようという一応の配慮があったのだろう。だから、問題の設定に「肌の色」や「髪の色」は選ばれなかった。

ただ、わざわざ「自殺」という要素を選ぶあたりがちっとも穏やかでない。ブラックユーモアを含む論理パズルは多いが、例えば「1000本のワインのうち、毒入りワインを見つけるために必要な奴隷は何人か?」というものもある(解答は参考にある動画を参照)。個人的にこういう諧謔は実はそう嫌いではない。

 

最後に、ジェーン・エリオット氏(Jane Elliott 1933-)が行った「差別実験」に触れておく。これは1968年4月のキング牧師の暗殺を受けて、彼女が担任していたクラスにおいて授業の一環として行われたもので、青い眼の生徒と茶色い眼の生徒の間にあえて格差を設けることで、差別を実際に体感することを意図している。

まずは茶色い眼の生徒が青い眼の生徒に対して優位であるという雰囲気をつくり、その後に立場を逆転させることで平等を図ったようだ。実験の間は優位にある側が格下の生徒に対して横暴に振舞ったり、テストの結果の優劣にも格差が表れるなど、実験の結果は如実に出たようである。

この実験に対しての反応は様々だったが、当時は否定的なものが圧倒的に多かったようだ。眼の色による差別は例が少ないとはいえ、現代に行うのは難しいだろう。一緒にしてはいけないと思うが、格差を与えた結果暴力が生まれたという点では、映画『es』などでも有名な「スタンフォード監獄実験」を少し彷彿してしまう。

最近、甲南大学の田野大輔氏による「ファシズムの体験学習」が話題となったが、こちらは比較的明るく世に受け入れられた印象だ。エリオット氏の実験は小学生が対象なのに対してこちらは大学生が対象であるし、ファシズムが過去の話と思われている節もある。内容は勿論、こうした授業が令和の日本で出来たこと自体も興味深い。

 

 

参考

 

d21.co.jp

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www.keio-up.co.jpja.wikipedia.org

ja.wikipedia.org

www.otsukishoten.co.jp

www.youtube.com

 

三体問題

フランスの数学者アンリ・ポワンカレ(Henri Poincaré 1854-1912)による研究が有名な、物理学上の問題。Wikipediaでの表現をそのまま引用すると、「互いに重力作用する三質点系の運動がどのようなものかを問う問題」のこと。要は天体が三つ近づくとどうなるか、だ。


当サイトは科学専門ではないので、数学的・物理学的な理論の詳細は別に譲りたいと思う。ここでは、この問題の概要についてのみ、簡単に記すこととする。

結論からいえば、一般的には「予想はできない」が答えになる。詳しく知りたい方には、『三体問題 天才たちを悩ませた400年の未解決問題』(浅田秀樹 BLUEBACKS 2021)を勧める。高校数学の範囲で、多少数学に苦手意識があっても分かりやすく解説してくれている。

 

天体が二つ接近した場合の軌道に関しては、1687年にアイザック・ニュートン(Issac Newton 1642-1727)が『自然哲学の数学的諸原理』の内で示している。天体が三つ以上の場合に関しては研究が滞っていたが、1889年、上述のアンリ・ポアンカレにより、特殊な場合を除いて解を導けないことが証明された。
前掲した浅田氏の本のタイトルに「400年の未解決問題」とあるのは、三体以上の天体の接近においても解を導けるケースが現代に至るまで次々と発見されたためだ。こうした特殊解が後の研究に繋がることもあり、こちらの詳細はWikipediaにある「ラグランジュ点」の記事をご参照願いたい。
三体問題の研究において、数学・物理学における「カオス」の概念が見出され、以降「カオス理論」と呼ばれる一つの分野の端緒となったため、この点でもポアンカレの功績は大きい(ポアンカレの名前はむしろ、「ポアンカレ予想」の人ということで知られることが多いだろうが)。

三体問題の話を当ブログで取り上げたのは、この問題の発想、そして「予想不可能」という結果について、個人的に蟲惑的な魅力を感じるためだ。

実際、この問題についての書物がいくつか書かれているし、SFなどの創作にも大きな影響を与えている。「機動戦士ガンダム」しかり、アイザック・アシモフによる「ファウンデーション」シリーズ、未読のため恐縮だが最近話題の長編SF、『三体』(劉慈欣 重慶出版社 2008)にも影響があると聞いている。

物事が多様なことを示す喩えに「三者三様」という言葉があるように、物事は1つのみの場合、2つに分けられる場合、3つ以上の場合とで異なる。「現代は多様性の時代」と言われるが、これは「物事を二分して考えよう」という思考への一種のアンチテーゼである。
そう考えて現代史を眺めてみると、戦後世界を動かしたのは「西側諸国」「東側諸国」は勿論であるが、いわゆる「第三世界」と呼ばれた国々の動向が重要であった(ベトナム戦争キューバ危機がその例である)。冷戦後は東西対立も緩和して勢力図を描くことは難しくなり、第三世界という言葉すら死語となった。

 

つまるところ三体問題は19世紀末という、これから多様性の時代が始まるという時に現れ、「これから世界は三体のカオスな世界に入る」と半ば暗示的なメッセージを含んでいたのではないか、とオカルティックな想像を掻き立てるため、見逃せない気分になるのではないかと思う。
20世紀以降は、ゲーデル不完全性定理やハイゼンベルグ不確定性原理など、そもそも数学や物理学において「できない」ことを示す発見のインパクトが大きかった。これくらいでは数学や物理学の重要性は揺るがないが、少なくとも数学や物理学で扱えない問いもあることが分かった。

現代はコンピュータの発達によって、難しい演算も強引に計算することができるようになったため、三体問題のような状況も一応シミューレーションが出来る。それによって軌道の予測可能な三体問題の例外が次々発見されているが、実際に三つの天体が近づいた時何が起こるか、ほぼ予測不可能なのは変わらない。

 

ラプラスの悪魔」の存在が20世紀に否定されたとき、科学は「全ての未来を知りうる存在」でないことが明らかとなった。常に内容がアップロードされるし、少し前まで常識だったことが一瞬で覆ることもある。それでも現代に至るまで、「科学的に証明されている」という言葉のインパクトは大きい。

信仰を持たない人にとって、科学というのは絶対的な権威になりうる。いわゆる人間の集合知のようなものだし、そうなりうるのも納得できるが、常に更新される可能性を鑑みると「絶対的」な存在から程遠いことには注意すべきだ。その点を忘れないよう、科学との距離感を誤らないようにしたい。

残念ながら、科学は理性の拠り所になっても心の拠り所にはならない。特に日本においては、信仰に対する風当たりはきついように思うのだが、科学との適切な距離を図るには、信仰に関してもよく知っておく必要があると個人的には思うのだ。

 

 

参考

ja.wikipedia.org

bookclub.kodansha.co.jp



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アブダクティー(abductee)

英語で"abuductee"というと「誘拐された人」といった意味になり、場合によっては「拉致被害者」を指すこともあるが、カタカナで「アブダクティー」と表記する時は、「エイリアンに誘拐された人」を指すことが多い。念のため言っておくと、こちらはエイリアンの誘拐についての記事である。

 

UFOを見たという報告は日本でもあるが、エイリアンにさらわれて何かされたというケースは日本だと珍しいかもしれない。というより、アメリカでのケースがダントツに多い。そうした報告については”Alien Abduction”(エイリアンによる誘拐)というタイトルでWikipediaの記事があり、そちらに詳しい。

エイリアンによる誘拐を経験をした人々をわざわざ「アブダクティー」と呼ぶようになったのは、この経験が彼ら彼女らにとって深刻な影響を残す場合があるからだ。

 

その経験が一種の天啓となることもあれば、深いトラウマとなることもある。エイリアンと性交渉をしたという報告もあるし、改造を施されたり、メッセージを託されたというのもある。こうした報告を始めから嘘とかかって聞くかは自由だが、少なくとも当人にとっては深刻な問題のため、場合によっては注意深く耳を傾けることも重要だろう。

ジョン・E・マックの『アブダクション 宇宙に連れ去られた13人』(訳:南山 宏 COCOLO)にはアブタクティーの人々の体験が詳細に書かれており、大変参考になる。

勿論それ自体も興味深いが、著者自身がこうした事象にどのように向き合うか、そのスタンスの模索も面白い。初版で様々な批判を受けた結果、あくまで客観的な立場を失わないように配慮して断定的な表現を避けたと述べられているが、内容が内容なだけに証言を当てにするよりなく、難しかったろうと思われる。

個人的な感想を述べると、著者の思惑に反して、この本にはアカデミックな立場からは外れる表現が含まれるように思う。それは「~らしい」「~と話している」などと表現を和らげたとて避けられない。そのあたりをどう判断するか、微妙なラインと思われる描写の一部を以下に引用するため、ぜひ読んでご判断頂きたい。

 

アブダクション体験の多くは明らかに精神的であり、ふつうは神聖な光となんらかの強烈な遭遇をしたりその中に没入したりする。この現象はカルロスのケースでは圧倒的な力を持っているし、わたしが調べてきた多くのケースにも見られる。エイリアンは侵害的活動に対する恨みを買ってはいるが、仲介者とも見なされ、わたしたちよりも神または存在の根源に近いと見なされることがある。カルロスのケースのように、天使や神に類似したものと見なされることさえある。わたしが扱ってきた多数のアブダクティーは、ある時点で宇宙の存在の根源に対して解放される体験をする。多くの場合彼らはそれを「故郷(ホーム)」と呼び、人間の姿になる途中でそこから残酷に切り離されたと感じているのである。セッション中に開放されたり故郷へ帰ると、彼らは恍惚としてすすり泣くこともある。サラのケースのように、地球で人間の意識に変化をもたらすのを助けるなんらかの使命を帯びていることに気づいていても、体をもつ形で地球に留まらなければならないことを恨むこともある。

(p563)

 

精神分析の大家カール・グスタフユングも、世界的にUFO熱が高まりつつある1950年代末に『空飛ぶ円盤』を著す。こちらはジョン・E・マックの著作とは異なり、大胆に深みに入って壮大に話を広げるのが印象的だ。ユング自身にとっても最晩年の著作で、彼の理論が遺憾なく発揮されているのは注目に値する。

 

この圧倒的な多数者の態度こそが、投影という無意識の自己主張をうながす絶好の条件なのである。つまり底にひそんだ無意識が、合理的な批判にもめげず、しかるべき幻視を伴ったシンボルの噂という形で表面にあふれだし、常に秩序と開放と治癒と全体性をもたらすものであったあの元型を、ここでもまた活躍させるのである。この元型が伝統的な形姿をとるかわりに即物的なしかも工学的な形をとったのは、神話的な人格化を嫌う現代にあってまことに象徴的といえるだろう。技術的工学的と見さえすれば、現代人に難なく受けいれられる。形而上的な裁定という流行遅れの観念も、宇宙飛行の可能性によって受けいれやすいものになる。UFOが一見無重力であるのは解しがたいことではあるが、われわれの最新の物理科学にしても、ほとんど奇跡に近いような発明をいくつとなく成し遂げている以上、知能の進んだ宇宙人が重力を超克したり、光速かそれ以上のスピードを出せるようになったとしてもなんの不思議があろうか、というわけである。

(p34-35 訳:松代洋一 ちくま学芸文庫 引用元では上記の下線部は傍点で記されている)

 

ユングはUFOを一つの元型(アーキタイプ)と捉え、現代における神話的な象徴の一つと考える。それ自体が客観的に実在するか否かは、作品を読む限りそれほど関心の的でないようだ。むしろ、UFOに関しての証言が現代になって多く挙がることの意味を捉えようとする姿勢であり、かなり読み手を選ぶところだろう。

この著作内でユングは患者の夢や絵画作品による分析をしており、UFOの目撃証言を手掛かりとしない点もかなり独特だ。こうしたアプローチは文化人類学や芸術学など、かなり広い分野の知見も必要となるし、残念ながら実証性にも乏しい。それで後続の研究は特に現れていないようだ。少し残念な気もする。

 

個人的には、宇宙人が実在するかより、UFOの存在が多くの人々の間で噂されることに興味があるため、ユングの研究は面白い。

地球外生命体の話となると、どうしても現代文明を相対化してスピリチュアルな方向に向かいがちだが、存在を完全に否定するような証拠も出揃っていないのも事実である。むしろ、広大な宇宙の中で地球だけが生命に溢れているというのは孤独な気もするので、出会わなくてもいいからどこかに存在はして欲しい気がする。

あるいは宇宙人の存在を見つける前に他の星を植民地化する可能性もあるが、どちらに転ぶか見届けたいものだ(全く別の選択肢に転ぶ可能性もあるが)。

しかし、こうした興味とアブダクションの証言への関心は自分の中では別物である。ただ一種の興味深い社会現象として、淡々と記憶すべきであるとは思う。

 

 

参考

en.wikipedia.org

honto.jp

www.chikumashobo.co.jp