何かが道をやってくる

管理人:平井宏樹

『ハリーの災難』(原題:”The Trouble with Harry”)

1955年公開の、アルフレッド・ヒッチコック監督による映画作品。

 

「ハリー」は中心人物なのだが、映画の最初から最後まで死んでいる。遺体が主人公の作品である。

村の一角で少年が遺体を目撃するところから物語は始まり、彼を殺した心あたりのある人々が、遺体を埋めたり掘り返したりを繰り返す。まさしく死体遊びである。

彼を取り巻く人間関係が主題なのだが、いかんせん遺体が中心にあるため、業の深さからはどうやっても逃れられない。ヒッチコック映画ではだいたい人が死ぬことになるが、その中でも指折りのブラックユーモアだ。

 

この映画を観たきっかけは、シャーリー・マクレーンだった。

学生時代、ベタだが『アパートの鍵貸します』と『あなただけ今晩は』のビリー・ワイルダー作品で知り、当時のハリウッド女優には珍しい主張の強くない顔立ちや明るいキャラクターが気に入ったため、他にも出演作を観たいと思った。『ハリーの災難』が映画女優としてのデビュー作らしい。

80年代頃からは転生論や自身の神秘体験にまつわる書物を執筆しており、日本でもスピリチュアル界隈では評判のようだ。当時はそんな事全然知らなかったが。

 

作品の話に戻る。

タイトルにある「災難」は、死者の特権である「永遠の安らかな眠り」を妨げられたことを指すのだろう。

日本の怪談では、先祖の墓参りを欠かした子孫に霊障が起こるパターンは多い。欧米圏では珍しい気がする。

ハリーは最後まで弔いを受けず、結局最初の発見場所に戻される。日本は比較的弔いを重視する傾向があり、その視点からすると大変罪深いことだが、観ているときはあまり気にならなかった。遺体が不自然なほど整っているからだろうか。

とはいえ弔いは万国共通の文化であるため、死者への敬意と人間のエゴとの衝突がこの作品の気色悪さないしユーモアに繋がっていることは確かだろう。

 

参考

ja.wikipedia.org

ja.wikipedia.org