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管理人:平井宏樹

ブルーノ、ジョルダーノ(Bruno、Giordano)

ジョルダーノ・ブルーノ(1548-1600)は、イタリアの哲学者で、ドミニコ会の修道士でもあった。

 

世界史を履修した人なら、聞いたことがある名前かもしれない。地動説論者の一人として有名で、最期はカンポ・ディ・フィオーリ広場(Campo de'Fiori 通称「花の広場」)にて火刑に処された。
彼の宇宙論については、主著『無限、宇宙および諸世界について』(De l'infinito universo et mondi 1584 以下、『諸世界について』と略す)でおおむね知ることができる。1982年に岩波文庫より出版された、清水純一氏の訳が有名だろう。現在、加藤守通氏の訳による『ジョルダーノ・ブルーノ著作集』(東信堂)が刊行されている最中で、その他の書物についても日本語で読めるようになった。これから一部では注目を集めることになるのだろうか。

 

彼は宇宙が無限だと説く。地球は太陽の周りを公転しており、太陽と同じような恒星が宇宙には無限に存在し、そこには地球と同じような星も周っているとする。
「無限大の宇宙」と言ってもそうインパクトは無いだろうが、よく考えてみてほしい。宇宙が無限にあるということは、今あなたが何かしている、その瞬間が、宇宙のどこかでそっくりそのまま再現されているかもしれぬということだ。それはちょっと恐ろしいし、信じがたいことではないか?
ブルーノがどこまで考えたか分からないが、『諸世界について』を読む限り、恐らくそのような宇宙観も肯定していた可能性が高い。ブルーノの主張を代弁するフィロテオという人物が、「地球は無限に存在し、太陽も無限に存在し、エーテルもまた無限です。」(『諸世界について』、p98)と述べている。

 

彼の宇宙論に関しては多く紹介されているため、ここではややマイナーな、記憶術への貢献について少し触れることにする。
記憶術に関する書物を読むと、ブルーノの功績が重要なものとしてよく紹介されている。参考に概要が書かれた記事を載せるが、場所や占星術を使った記憶術について何冊か書いているそうだ。
現代においてもこれに類した記憶術(「場所法」と呼ばれる)は有効なようで、偶然観かけた『ミライモンスター』のメモリースポーツの回(2019年2月24日放送)において紹介されていた平田直也さんが、在籍する一橋大学井の頭公園の風景を記憶に役立てるシーンがあった。
ブルーノの宇宙論には誤りもあるだろうし、思想についてもオカルティックな部分があるため退けられる部分はあるだろうが、記憶術に関しては現代においても通用する部分があるのではないか。

 

上でも少し触れたが、彼は占星術についても精通しており、キリスト教史において長らく異端とされてきたヘルメス主義の哲学についても傾倒していたとされる。また、主張の内容についても遠慮を知らない部分があったらしい。以下に、それが窺えた部分を紹介する。

 


この美(注:女性の外見的な美)は、外面的にはわずかの間美しいとはいえ、その内面においては、われわれの継母である自然が産み出すことができた数多くの汚物と有害な毒物とからなる艦隊、商店、税関、市場を永続的に含んでいるのです。自然は、自らが必要とする種子を回収した後には、代償として、悪臭と、悔恨と、悲嘆と、消耗と、頭痛と、倦怠と、その他周知の数多くの悪を、われわれに与えるのです。結果として、甘い誘惑のあるところに、辛い苦痛が待ち受けているのです。
(『ジョルダーノ・ブルーノ著作集7 英雄的狂気』加藤守通訳 東信堂 p4)

 

わたしは、束縛されているとは思いません。というのも、いままで存在した紐や罠の製作者が編み、結ぶことができたすべての紐と罠をしても、そして(言ってよいのかどうかわかりませんが)わたしに害を加えようとするこれらのものの中に死が混じっているとしても、それらはわたしを束縛するにはじゅうぶんでないからです。
(同書 p5)

 


彼はその言葉通り、最期に死を与えられる結果となった。いわゆる地動説が処刑のきっかけとなったとするのは、おそらく早計なのだろう。
彼は、処刑を宣告する執行官に対しても「私よりも宣告を申し渡したあなたたちの方が真理の前に恐怖に震えているじゃないか」と言い放ち、火刑の際にも言葉一つ発さなかったとされる。敵に回すと厄介な人物と考えられたのも無理はない。

 

 

参考

 

ja.wikipedia.org

 

www.iwanami.co.jp

 

www.kiokuanki.com

 

artofmemory.com

 

kakaku.com

 

honto.jp