地球平面説
地球は球体ではなく、平面であるとする説。
『不思議の国のアリス』の冒頭、アリスがウサギの穴に落ちる場面で、次のようなセリフがある。
「このまま地球をつきぬけちゃうのかしらん?頭を下にしてあるいてる人たちのなかへ、ひょっこりあたしが出ていったらさぞこっけいだろうな。(以下略)」
これは決して、アリス独自の奇想ではない。重力という考えが広く認知されるまで、「なぜ地球の反対側の人は落ちないか」は、地球球体論者にとって大きな課題となった事実がある。
精密な天体観測もあって今や常識となっているが、重力を目に見える形で証明するのは現代でも不可能である。よく考えてみれば、広く認知されている方が不思議な気もする。
重力の存在を証明できないとしても、前世紀から続く宇宙開発によって、宇宙から地球を見ることも可能だ。ただ一方で、こうした宇宙開発の歴史を認めないとする派閥もある。こうした方達は、「フラットアーサー」と呼ばれる。
宇宙開発は世界各地で行われているため、これら全ての証拠を虚偽とするには、何かしらの陰謀によって事実が隠蔽されていると考える必要が出てくる。あらゆるメディアを敵に回すことになるわけで、地球平面説にとってはおそらく最大の参入障壁である。
平面説はマジョリティにはならないだろうが、宇宙旅行が一般的なレジャーとなるまでは根強く残り続けるだろう。
一応、目に見える形で地球の自転、ひいては球体説を示すのに「フーコーの振り子」というものがある。巨大な振り子を垂らすだけだが、大地が動いていないとするとやや不可解な挙動を目に見えて示す。そこから地球の自転を導き出すのだ。
しかし、半永久的に巨大な振り子を動かすのは難しい。振り子そのものはディズニーシーでも見られるが、電磁石の力を借りているはずで、恐らく完全自動の振り子はない。仮にそこを「イカサマしてる」と突かれると、我々には反論できない。コペルニクスの時代に戻って天体観測を続ける方が、地球を球体と示すだけなら順当な手順という気もする。
念のため、地球を球体と示す簡単な証拠をまとめてくれた記事があるため、そちらも参考で紹介しておく。
最後に、地球平面論者の人々がどんな考えを拠り所としているか、少し紹介してみよう。以下は『究極の洗脳を突破する【フラットアース】超入門』(著:レックス・スミス、中村浩三 ヒカルランド)からの引用で、レックス・スミス氏の言葉である。
また、フラットアーサーは、基本的に観測至上主義の実証主義。自分の目と手で直接確かめられるものを一番重要視します。
次に重要視するのが、理論的に、できるだけ先入観なしに考えること。
非常に残念ながら、球体説論者は、そうではない方が多いように見受けられます。
基本、他力本願ですし、誰々という権威者が言っていたから、どこどこのえらそうな機関が発表していたから。リサーチする際も、基本的には、知名度があり、代々資本化の血筋に握られている組織や機関の情報を一方通行で丸呑み。絶対的なものとして疑いません。(p22-23)
球体説は、「地球は大きさが地球の約100倍ある太陽のまわりを、他の惑星とともにくるくるまわり、さらに太陽とともに、ほぼ無限大とも言える膨大な大きさの宇宙空間を超高速で移動し続けている」という設定です。
支配層は、そう主張することで、わたしたち放牧奴隷の世界観を印象操作し、人間など宇宙の塵である、地球の上で生活する「塵の中の塵」であるという無力感を巧みに刷り込んでいるのです。
「ビッグバン」という宇宙の始まりを提唱する仮説も、わたしたちは、無機質から偶然と拡散の連続によって適当に作られた、どうでもよい存在であると刷り込みます。(p151)
普段生活する限りでは、地球が球体か平面かなど、そう大切なことではない。
逆にいえば、メディアが無ければ、多くの人は地球が球体などと思いもしないことだろう。そうしたメディアのない生活への回帰も、個人的には地球平面説に感じるものである。
参考