忘却術
記憶術と対になる、特定の記憶を忘れる方法。
まず「忘却術」という用語については限られた場面でしか使われないため、ここ
での便宜上の呼び名である。
忘却術を歴史上最初に求めた人物は、古代ギリシアで活躍した指揮官テミストク
レスだろう。世界史にも登場するので名前を知っている人も多いかもしれない。
彼は故郷の住人の名前を全て覚えられるほど、記憶に長けていたという。同じ
く記憶に長けた人物シモニデスが記憶術を伝えようとすると、彼は「自分
が学びたいのは忘れたい記憶を忘れる方法だ」と言ったそうだ。
記憶術の本は多数あるが、忘却術についてまとめた本は(たぶん)無い。
そもそも忘れたい記憶を意識した時点で、忘れることからは遠ざかっている。そ
うしたわけで、忘却術には根本的に無理がある、というのがおおまかな見解のよ
うだ。シモニデスがテミストクレスにどう返したか、気になるがその記録も見つ
からない。
ただ、記憶術の歴史において、忘却が必要となる場面もあった。
西洋の記憶術は、基本的に場所と記憶とを結びつける。そうすると、別の知識を記憶するのに同じ場所を利用した場合、前の知識が邪魔になるという問題がある。その時に使える手法がいくつか紹介されている。一つ例を示す。
十六世紀末~十七世紀初頭の低地諸国やフランスで活躍した著名な記憶術師ラン
ベルト・トマス・シェンケル(羅:シェンケリウス)(一五四七―一六三〇年頃
)が紹介する手法は、いたって過激だ(Schenkelius 1610, pp.123-124.
Bolzoni 1995, p.147も見よ)。いわく、ロクスのすべての窓や戸を開け放ち、そこに猛烈な勢いの「嵐」をぶつけて、暴風の力でイメージを吹き飛ばしてしまうのだという。記憶術を自在に扱えるほどの者なら、相当に強烈な風の場面も想像できるはずだ。風や雷鳴が生み出す轟音や、打ちつける冷たい水滴の触感なども、一緒に添えるとよいだろう。
(講談社選書メチエ『記憶術全史 ムネモシュネの饗宴』 桑木野幸司 2018、
p87)
※ロクス…記憶に使用するための場所
上で引用した著書を読む限り、ロクスの明かりを暗くしたり、イメージにヴェー
ルをかけたりと、平和なものも多いが、イメージを破壊したりロクスから追放
したりと物騒なものの方が多い気がする。こうした手法が効果的かは定かでないが、「忘れる」ことに明確なイメージを提供してくれるのはありがたい。
現代ならば特定の記憶を忘れる手立てがあるのかというと、結論からいえば恐らく無い。ある記憶を忘れるためには、どうしても他の色んな記憶も巻き込まれてしまう。『奪われた記憶 記憶と忘却への旅』(ジョナサン・コット 訳:鈴木 晶 求龍堂、2007)には、ECT(electroconvulsive therapy、電気けいれん療法)の副作用で15年間の記憶を失った著者の嘆きが滲んでいる。記憶が引き起こす病の治療については、医療の問題に留まらぬ難しい課題である。
最後に、ウンベルト・エーコ(Umberto Eco 1932-2016)の考えを紹介する。1988年の論文において、自身の考えを表明している。論文の題名は、"An Ars Oblivionalis? Forget It!"(英訳:Marilyn Migiel)である。Ars Oblivionalisは忘却術を示すラテン語であるが、恐らくエーコの造語である。つまり「忘却術だって?そんなもの忘れろ!」となり、忘却術という方法自体の否定を示す。内容もタイトルの通りだが、忘却術の代わりに、記憶の上書き(superimposition)や増殖(multiplying presences)だったり、限定的な用法としてステガノグラフィー(古典的な情報隠蔽技術)の使用を挙げている(PMLA Volume103 Issue3 1988、p260)。
古代ローマにおいては、「記録抹消刑」というその名の通りの刑が存在したが、刑を受けた人物の一覧がウィキペディアにあるのは壮大な皮肉だ。やはり記憶は忘れようとすればするほど、かえって持ち上がるものなのか。エーコの言う通り、辛い記憶には楽しい記憶で「上書き」するのが一番真っ当で健康かもしれない。一方で、良い記憶にも嫌な記憶にも公平なインターネットにどう向き合うのが健康なのか、よく考える必要がある。ネットに一度流れた情報は二度と消すことができない。そんな時、「集団忘却術なるものがあれば」と考える人は少なくないだろう。
参考