何かが道をやってくる

管理人:平井宏樹

『ブライトン街道にて』(原題:"On The Brighton Road")

イギリスの作家、リチャード・ミドルトン(Richard Middleton 1882-1911)に
よる短編。原題は"On The Brighton Road"で、題訳は『幽霊船(魔法の本棚)』(訳:南條 竹則 国書刊行会)に拠る。ミドルトンの作品をまとめて読めるのは日本語では多分この短編集だけだ。

ブライトンからロンドンへ向かう道にて、男が雪の中からガバッと現れる。その男が道中で出会った少年とやりとりを交わすだけだが、独特な印象を残す作品だ。

 

とりあえず書き出しが素晴らしいので、少し長いが引用する。

 

 ゆっくりと太陽は凍てついた白い丘の上にのぼり、暁の神秘な儀式もそこそこに夜明けが来れば、あたりは輝く銀世界だった。夜中堅い霜が降りたので、生活の厳しさに追われる小鳥たちがそこここを跳びまわっていたが、銀色の舗道には足跡も残らなかった。ところどころにぽっかりと空いた生垣の穴が、色とりどりの地上を被(おお)った白一色の単調さを破り、頭上の空はオレンジ色から濃い青に、濃い青から薄いうすい水色に変わって、無限の空間というよりも、むしろ薄べったい紙のスクリーンを思わせた。平野を越えて吹きつける冷たく音もない風は、樹々に積もったきめ細やかな雪埃を舞いあげるものの、雪を冠った生垣はほとんど震えることもなかった。ひとたび地平線の上にのぼると、太陽は進みを速めたかに見え、空にのぼるにつれて放ち始めた熱が、身を切るような風の冷たさと混じり合った。(訳:南條 竹則)

 

夜明けの雪原をここまで雄大に描けるのはすごい。雪風の冷たさや静けさもダイレクトに伝わるようだ。
この雪景色で一人目を覚ます男、という風景の対比がストーリー全体によく効いている。男は死んでいるのでは、と思うのはこの冒頭による効果もあるだろう。

 

この作品は大学の講義で知った。ナボコフの『ロリータ』などを訳されている若島正先生の講義だ。いろんな短編小説を英語で読むという内容で、他にはサキやコッパードなどが取り上げられていた。なぜかラテンアメリカや日本の作品も混じっていたが、とりあえずお気に入りの作品を取り上げたのだろう。
授業後にいくつか的外れな質問をし、いたく困らせてしまったのだが、その際この『幽霊船』という短編集を薦められた。8年越し位でつい最近読み、大変面白かった。

 

男と少年は、とりあえずブライトン街道で大都市ロンドンへ向かう。都会に出たからといって救いがあると限らないのは集団就職の例からも明らかだ。他の作品でいえば、スタインベックの『怒りのぶどう』もそんな話だ。個人的には、ちょっと趣旨はずれるがダンセイニ卿の『バブルクンドの崩壊』も思い出す。
今ではネットやテレビで現地の情報はすぐにわかるが、メディアが無い頃はもうとりあえず向かうしかなかったのだろう。今でも情報を遮断している組織や土地は多くあるが、情報を得たいならその時はそこに向かうしかない。『ウォッチドッグス』というゲームではそうした世界が描かれているが、実際はオンライン上で済ますことが多いらしい(下記にある動画を参照)。

 

男の生死もわからないまま、まるで死体や魂そのものが歩いて話しているような、不気味な雰囲気漂う作品だ。町に挟まれた街道という、中途半端な舞台設定もいい。
にしても、雪は何かと死を連想させる。ジェイムス・ジョイスの作品『死せるものたち』(原題:"The Dead" 題訳は柳瀬尚紀訳『ダブリナーズ』から)も、ラストの雪景色の描写が印象的だった。"The Dead"に関しては、ジョン・ヒューストン監督の映画も大変良かった。

 

 

参考

www.kokusho.co.jp

en.wikipedia.org

www.shinchosha.co.jp

 

www.youtube.com