何かが道をやってくる

管理人:平井宏樹

屈葬

葬儀形態の一種。遺体の足を折り曲げた状態で埋葬を行うこと。

 

日本だと妙にメジャーな単語で、中学生でも知っているだろう。恐らく日本史を学ぶにあたり、かなり最初に知る言葉なのも関係しているかもしれない。

英語だとcrouched burialやflexed burialといった単語が当てられるようだが、調べてもあまり詳しい記事は出てこない。西洋では文明の早くから伸展葬が採られたため、屈葬という文化にあまり馴染みがないのだろう。

ただ、ネアンデルタール人は屈葬を行っていたようだ。

 

屈葬が行われた理由は諸説ある。

シンプルに埋葬スペースを省くため、という身も蓋もない説もあれば、母親の胎内をイメージしているという説もある。石を抱いている遺体(抱石葬といわれる)もあるため、「死者が蘇らないように」と念を込めたとの説もある。

文献が残ってないため答えは藪の中なのだが、やはり屈葬は窮屈な気がする。

山岸涼子の『雨女』という作品に、袋に詰められた正座の遺体が出てくるのだが、それを連想してしまう。

 

少なくとも、生者が死者に権威を振るえた時代があったのだろう。

日本においては、渡来人の到来と、身分社会の発展と共に屈葬は廃れていったようだ。

文明の発展とともに、死者からの目線を獲得したのか。「自分が埋葬されるとしたら」と、そんな想像が働いたのか、伸展葬が増えていく。

 

遺体は徐々に飾られるようになり、一種の権威を持ち始める。

縄文人ネアンデルタール人は遺体に対して恐れを抱いたのだろうか。現代人には想像できないくらい、「モノ」に近いと思われていた気がするのだが…。

 

 

参考

ja.wikipedia.org

ja.wikipedia.org