『ゾッとしたくて旅に出た若者の話』
グリム童話の物語のひとつ。
色んなバリエーションがあるようだが、タイトルなどは池内紀訳の『グリム童話』(ちくま文庫)のものを引用。
のらくらの次男坊が、「ゾッとする」とはどういうことかを知るために旅に出る。旅先で、三日間番をすれば財宝や美しい姫君が得られるという城があり、「ゾッとする」ことを学ぶついでに番をしてみる。巨大な猫が出てきたり、幽霊が髑髏で玉突きをしたり、大男たちが棺桶を運んできたりと、色んな大仕掛けがあるのだが、この若者には通用せず、結局「ゾッとする」体験は得られないまま、城の財宝を手にして、姫君と結婚し若い君主となる。
それでもゾッとしたい若者に、城の女中が一計を案じ、川で汲んできたバケツの水を寝ている若者にぶっかけて、最後は彼の「いやあ、ゾッとした」みたいな言葉で終わる。
現代ドイツ語でいえばだが、「ゾッとする」(schaudern)には「身震いする」という意味もあるそうで、つまり最後は「水をかけられて身震いした」という言葉遊びのオチと思われる。ふざけてるが、よく出来てると思う。
物語のはじめでは家族に愛されぬノラクラ坊やだが、一度出世してしまうとちょっと妬ましくなってくる。そこで女中が「水でもかぶって反省しなさい」と一発くらわせることで、バランスを上手くとっている。最後までスカッとした気分で楽しめる話だ。
ところで、「恐怖を感じない」ということが実際にあるのだろうか?と気になって少し調べてみた。
恐怖を感じない場合、脳の扁桃体が機能していない可能性がある。同時に記憶や集中力の低下も引き起こすため、件の話の主人公がノラクラ呼ばわりされていたのと偶然だろうが一致する。
ただ、過剰に稼動するとそれはそれでてんかん症状を引き起こすため、動けばいいというものではないらしい。
色々と調べてみると、治療の一環で扁桃体を切除した方が実際にいるらしい。
危機を回避するために恐怖を感じるのは必須だが、現代では生命をおびやかすほどの危機に襲われることは少ない。よって、案外生きていけるそうだ。
上の記事にも書かれているが、理性的に恐怖を回避する必要があるため、そのあたりが少し面倒なようだ。パニックに襲われることはないので、その点はある意味有利かもしれない。
ただ、恐怖に基づく娯楽というのは結構多い気もするので、それが愉しめなくなるとしたら少し寂しい気もするが。