何かが道をやってくる

管理人:平井宏樹

「須磨海岸にて」

2chの怖い話で、お気に入りを挙げよと言われて、真っ先に思いつくのがこの話。

 

『須磨海岸にて』|洒落怖名作まとめ【怖い話・都市伝説 - 長編】 | 怪談ストーリーズ

 

上のリンクから確認していただければと思うが、とにかく途中からよくわからない。話の冒頭から誤字も多いし、異様な雰囲気が漂っている。

ネット掲示板で語られる長編小説ではよくあるのだが、最後まで書き手のモチベが続かず、露骨に展開が雑になってしまうことがある。その点をうるさく言う人も多いが、個人的にそういう話は好みだ。

見たものを見たまま、写実的に表現するのは意外とできる人が多いが、イメージが湧かぬ程わけのわからん話というのは実は結構珍しい。ただヘタクソというだけなら、割と転がっているのだが…。

この話も終盤になってかなり妙な展開になるので書き手の息切れを疑うのだが、にしても異様さが勝っているので「どっちなんだろう」と判別がつかない。

 

文芸批評の専門用語に、「信頼できない語り手」というのがある。

たとえば推理小説などで、事件の全容を見ていない人物の証言などが挙げられる。部分的な証言を集めて、最終的に全容が語られた時点で謎も全て解決しました、というのが一応お決まりの、推理小説の雛形とされる。もちろん例外は山ほどある。

科学用語とは異なり、定義がとても曖昧なため、「須磨海岸にて」の語り手がこれに当たるか、意見は割れることだろう。個人的にはできれば当てはめたくない気がする。書き手の体験が実体験ではない可能性があるというだけでレッテルを貼ってしまっては、何でもアリになってしまって、「信頼できない語り手」という批評の道具がつまらなく見えてしまうから、という自分勝手な理由からだが。この話にはもっと、ふさわしい二つ名がある気がするのだ。

 

書き手はこの体験を「実体験」と述べてはいるが、調べた限り、その保証は得られなかった。それでも、全体に漂う狂気から、「少なくとも彼にはそう見えたかもしれない」と、その点だけは受け入れてもいいかと、そんな気分にさせられてしまう。

この話が気にいった人は、たぶん『聊斎志異』なども好きかもしれない。中国の古典怪談集だが、不思議な話がいっぱい載っている。

 

参考

ja.wikipedia.org

 

聊斎志異〈上〉 (岩波文庫)

https://www.amazon.co.jp/%E8%81%8A%E6%96%8E%E5%BF%97%E7%95%B0%E3%80%88%E4%B8%8A%E3%80%89-%E5%B2%A9%E6%B3%A2%E6%96%87%E5%BA%AB-%E8%92%B2-%E6%9D%BE%E9%BD%A2/dp/4003204018