何かが道をやってくる

管理人:平井宏樹

義務

正直言うと、苦手な言葉。「義務」という言葉の裏には、絶対服従を強いるような命令や権威が見え隠れするため。

 

ただ、恐らく誰にとってもそうなのだろう。

古代の記録を見返してみると、旧約聖書には『ヨナ記』という話がある。神からの使命を聞いた若者が使命から逃げ出し、旅に出る。旅先で荒波に揉まれるが奇跡的に生還し、結局神の使命を果たしはするものの、ラストで神の寛大に触れて、その後の若者の変化に触れず、物語を終えるのがとても良い。かなり短い話なのでご存知ない方はぜひ読んで欲しい。

しかしこの記事において大事な点は、物語としての如何ではなく、要は「義務から逃げたい」という気持ちは人類の歴史の冒頭にすでにあったかもしれぬということだ。

義務という強制力には、罪や悪から遠ざけようという意志がある。「自由意志」が罪や悪とどう関わるかは、アウグスティヌスの時代からすでに考えられていたことだ。人は自由にさせとくと、どんな悪徳に走ったものか分かったものじゃないから、そうなる前に抑えよう、というのが義務のやりたいことだ。

 

「やるな」と言われれば言われるほどに、やりたくなるのは「カリギュラ効果」という。逆に、「やれ」と言われれば言われるほどに、やりたくなくなるのは何という、と調べると、大した言葉が出てこない。せいぜいヒットするものといえば「自己決定感の阻害」という、あまり面白くない言葉だ。「自己決定理論」という、心理学の体系で使われている用語のようだ。

この理論で言われているのは、人は「やれ」と言われたらやりたくなくなる生き物なので、あくまで自発的(と本人が感じられるやり方で)に何かをさせるよう務めるべきだ、ということだ。物質的な報酬よりは、言語的な報酬の方が、モチベーションにはいいらしい。要は、「ほめて伸ばせ」ということだ。

ただし、同じ心理学でも、アドラー心理学においては、「ほめる」行為は自律心を阻害し、結果的にはウマくないそうで、あくまで言葉は「勇気付け」で、たとえば感謝の言葉をきちんと伝えるなどした方が良いとされているようだ。

 

じゃあ結局、義務というやつにはどのように立ち向かえばいいのだろうか。飯を食うのも、風呂に入るのも、寝ることだって、場合によっては義務となるのだ。

上の話をまとめると、「自分で自分をほめる」ことにより、モチベーションが保たれるなら、こんなウマい話はないだろう。SNSでチラッと見かけた些細な言葉なのだが、「自分で自分のご機嫌をとる」ということで、これが出来れば苦労はしない。

私個人の体験に寄せれば、モチベーションが上がらない時、「これはあくまで趣味なのだ!」と強く思うようにしている。あくまで好きでやっているのだから、細かいことは考えるな、と。

灘中学で国語の講師をされていた、橋本武という人が、『〈銀の匙〉の国語授業』という本を執筆されている。授業の資料を作る際、どうしても苦しい時は、趣味だと割り切って乗り越えたとあり、私はそれのマネをしている。肌感覚だが、たまに効く。苦しい時は、試してみてもいいかと思う。

他に思いつく手段としては、過去の自分に感謝する、とかも意外と効くかもしれない。試してないから、効果のほどはわからない。

 

色々方法は並べてみたが、自家発電でモチベーションを保つというのは、なかなか至難な技らしい。ただ、これが上手くいくならば財布にも優しいし、迷惑もかけない、SDGsに大変適した方法になることは間違いないだろう。

だが、私個人の立場で言えば、義務からはほどほどに逃げるに限る。悪や罪には手を染めぬ範囲だが。

 

参考

自己決定理論(英語Wiki
https://en.wikipedia.org/wiki/Self-determination_theory

 

「すごい」「えらい」より効果的! 褒めず・怒らずに子どもを自立させるアドラー式子育てとは

https://kodomo-manabi-labo.net/individual-psychology


『〈銀の匙〉の国語授業 (岩波ジュニア新書) 』
https://www.amazon.co.jp/%E3%80%88%E9%8A%80%E3%81%AE%E5%8C%99%E3%80%89%E3%81%AE%E5%9B%BD%E8%AA%9E%E6%8E%88%E6%A5%AD-%E5%B2%A9%E6%B3%A2%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%8B%E3%82%A2%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E6%A9%8B%E6%9C%AC-%E6%AD%A6/dp/4005007090